2005年11月アーカイブ

金曜日は会社の歓送迎会があった。
この部署の飲み会はテンションが高くて楽しい。ほかの部署の人も偉い人もたくさん来ていて40人近い宴会だった。こんなに人が集まるなんて、よっぽどすごい人なんだなぁと。できれば一緒に仕事をしてみたかったけど、これもめぐり合わせか。でもちょっと残念だ。

その後もカラオケに行って深夜遅くまで歌っていた。こっちもすごかった。
ひとつわからなかったネタがあったけど、帰ってからFlash見た。しばらく笑いが止まらなかった。
これを歌詞見ずに歌っていたのか。。。やっぱりこの人たちはすごい。


土曜日は車の納車だった。当然僕のじゃない。高校コーラス部で一緒だったK林君のん。

僕がいつだったか打ち立てた目標「車を持つ準備をする」に1%ほど触発されたらしいけど僕自身はこの目標は凍結中なのでちょっと悪いことをしてしまったかも。

納車の手続きを終えたばかりの新車に乗せてもらってどこへ行ってきたかというと、川崎大師へ自動車交通安全祈祷へ行ってきた。相変わらず堅実だ。
そういえば、会用車もここでお祓いを受けたほうがよいんじゃないだろうか。


日曜日は相変わらず仮住まいの周りを歩き回った。今日はテーブルと加湿器を購入。これで、購入しようと思った生活用品はある程度そろったかな。あとは液晶をどうするか。

意識が低いといわれた。

話題の中の意識の話は僕がというわけではないんだろうけど、そう思う僕の意識は低かった。

確かに、すっかり研修生気分だった。

水でもかぶった気分だ。

自分自身で認知の問題を抱えていたなんて。ずいぶん間抜け。

11/07から出張で東京に来ています。

半年かけて新しい仕事を覚えて関西に持ち帰るというのが今回の出張というか研修というかの目的。期間は長いものの転勤ではなく、一応往復切符になってる。なので、人は出張という名の出張と呼ぶ。

今は会社手配のマンスリーに入っている。入居した頃は壁紙が破れていたり家具の痕が黒く残る壁やいすの移動で擦り減った絨毯を見てずいぶん悲しい思いをした。

それでも2週間が経ち、少しずつ工夫を重ねて、仮住まいと思えば何とか割り切れるまでにはなってきた。壁紙の汚れは模様替えをして家具で隠し、絨毯は自分で新しいものを買ってきた。

居室を除く住環境はよいほうだと思う。会社も近いし、駅周辺の飲食店も多い。このところ週末は歩き回り、南側については大体何があるかわかってきた。清澄白川のコーナンが徒歩30分、木場のイトーヨーカドーが徒歩1時間。木場の先に打ちっぱなし場があった。

仕事のほうはとりあえず今は精神と時の部屋で修行をしまくっている。関西とは相手にするものが違うので発見も多い。これはこれでいい感じ。

それ以外で東京にやってきてからの日常で特に変わったことといえば、

11/15にグループ会社同期入社の人の写真展をのぞいてきた。僕自身も最近銀塩の誘惑に現をぬかしているのでいろいろと話を聞いた。彼女のカメラはPENTAX KXだった。関西に戻ったら買わされる予定のカメラだったけど、かぶっちゃうのもアレだなぁ。というわけで、やっぱりMX見つけといてね>airu

11/29に出張先でお世話になっている会社の人と東京観光的なことをしてきた。月島でもんじゃ焼きを食べて、東京タワーに上って、秋葉原で液晶の価格にため息を漏らして、彼の家でジンギスカンをいただいた。たしかに、ジンギスカンは東京ってわけじゃないけど、おいしかった。

とまぁ、こんな感じで生活が徐々に整いつつある。

僕の一年はまさにこの日のためにあるようなものだ。

今日も9:30に県民ホールステージ上に集合。県内の合唱団に加えて、全国から集まった県外参加の人もそろっている。例年より100人ほど少ないといっても350人近くもいるんだからすごい迫力だ。

周知事項の説明や入退場練習、発声練習が終わればいよいよゲネプロ。直前ということもあり、練習中も空気が張り詰めているのがよくわかる。途中で止まることも少なく数時間後の本番をイメージするように一通り最初から最後まで練習した。

ゲネプロは第4楽章から始まり、第4楽章が終わると合唱団は退場、オーケストラの人たちはゲネプロを続けている。その間合唱団は大慌てで着替えと食事を済ませる。

さて、かがわの第九は第4楽章のMの部分、いわゆる歓喜の歌として有名な部分を客席と一緒になって歌う。(かがわ方式)いくら有名といっても誰もがすぐに歌えるものでもないので、演奏前に15分ほど時間をとって歌唱指導を行う。合唱団の中から無作為に100人ほど選び出し指導の先生の指示でお客さんと一緒に歌うわけなんだけど、今年は合唱指導の当番に選ばれてしまった。

というわけで、大急ぎで食事と着替えを済ませてみんなより早く舞台袖に集合。一足先にステージに上る。歌唱指導に選ばれてうれしいのは、みんなより先にお客さんの入りを見ることができること。今年もたくさんの人が聴きにきてくれている。3階席まで満員だった。

さて歌唱指導が終われば僕らはいったん退き再び出番を待つ。演奏会によりけりだけど、かがわの第九は第3楽章の手前で合唱団が舞台に出る。それまでの間は舞台袖や廊下でずっと待機。

さぁ、いよいよ出番だ。これまで中高の頃から何十回とこの県民ホールの舞台に立ってきた。舞台袖から出る。ステージをまっすぐ歩く。自分の場所に着いて正面を向く。目が眩むほどのライトを浴びる。この瞬間がたまらない。この快感が忘れられなくて僕はステージに戻ってきたんだなぁと思う。

1時間以上ある第九の演奏の中で、コーラスが歌う部分はたった20分ちょっとしかない。この20分を歌い、この1時間を感じるために誰もがそれぞれの努力を重ねてきた。このたった一時間のために、すべての人が兄弟となるために。

Freude, schöner Götterfunken. Götterfunken!

コーラスが歌いきってからオーケストラが盛り上がって鳴り止むまでの間がものすごく長く感じる。

はぁ。終わってしまった。毎年この瞬間は充実感と喪失感が半々だ。また一年この感動もおあずけだ。

というわけで、5年目のかがわ第九演奏会も無事終了。来年は20回目の演奏会だそうだ。来年もそれから先もずっと、30回40回をステージの上で迎えることができますように。

毎年いろいろとよくしてくださる実行委員会の皆様、指揮者やソリストの先生、関西フィルの皆様、聴きに来てくれた友達、一緒に歌ったみんなに感謝します。
ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

本当は県外からの人は14時が集合時間だけど、朝9時半高松着。この日ばかりはバスだと間に合わないので新幹線を使った。

香川の第九はひな壇の組み立てから合唱団のお仕事。みんなで鉄の枠を組み立てて、ねじでとめて、木の台を載せていく。慣れない大工仕事だけどみんなでやると結構楽しい。せっかく参加するんだから、やるならとことん。というわけで、毎回舞台設営から参加しています。合言葉は「みんなで造ろう香川の第九」だしね。

そんな異色の県外参加も今年で5年目なので合唱団員の人たちの知り合いも増えてきた。さらに、今年は他の都道府県から参加している人たちからも「お久しぶりです」と声をかけてもらえるようになってきた。年に一度のことだけど、着実に人の輪が広がっているなぁと実感した。

午後になって県外からの参加の人も集まったところでいよいよ練習スタート、泣いても笑っても明日が本番。指揮者、ソリスト、オーケストラ、合唱団がそろって練習できるのは今日の練習と明日のゲネプロだけなので一瞬たりとも気を抜けない。指揮者の藤岡先生は香川の第九を振るのは今回で4回目。香川の第九以外でも多くの演奏会で第九を振っているけれども、第九の指揮は格別に難しいらしい。今年は合唱団の人数が例年より少なかったり、僕自身もあんまり練習できなかったり不安な点は多いけど、今日指揮者の先生から聞いたことをしっかり覚えて明日の本番に臨もう。

荷造りの構想を練ってみた。
いや、本当は荷造りまで済ませておかないといけなかったんだけど。

今週末は第九の本番で週が明けると東京へ出張なので、さすがに荷造りはいるかなぁと。

でも、まだできてない。

何とか目処が立ってきた。・・・・・・・・・ゴメン。嘘ついた。

といっても今日もそれなりに進んだ。いろいろあったけど、いわゆる「想定の範囲内」ではあった。まぁこれぐらいは起こるかなぁ。というのがいくつか起こった感じ。

むしろ、そういう想定で仕事をしていることがなんだかなぁ。

そういえば最近姿勢がよくないなぁ。ちょっと来週あたり性根をたたき直してもらわないとダメかな。

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